どうも、嫌な方向に話が進みそうだ――――――三蔵は、性的な話が嫌いだった。








キマジメナ アナタ








聖人君子を気取る訳ではない。
自分は最低限の知識を書物から知り、必要な知識は、朱泱と師より教えられた。
それは、どちらかと言うと、己を守る為に必要だったのだが。


性を商売としている女は、何度か買った事もある。


三蔵自身にその気が無くても、江流と名乗っていた頃から
己自身に、その手の噂が付き纏っていた。
光明三蔵が健在だった頃は

『光明三蔵法師の稚児』

そう、位置づけられていた。
そんな噂で傷が付くほど弱くは無いが
稚児の意味を知り、師である光明に迷惑が掛かっているのではと
江流にとっては、それだけが気にかかった。
一度、それとなく師に聞いてみた事もあったが、にっこりと笑ったままに流された。




そんな江流の考えが、甘っちょろい物だと思い知らされたのはかなり後年。




江流が玄奘三蔵となり、放浪の旅に終止符を打った間もない頃。
三仏神からの依頼があり、職務で行った際の寺に
以前、光明三蔵が一度逗留された事のある寺から異動して来たと言う、
既に、見た目からでは年齢が不明な僧綱と出会い、当時を懐かしみ昔話に付き合わされる。

その老体も飄々とし、僧侶を纏めるだけあって、人を喰ったような狸で
良い意味でも悪い意味でも、自分が知っている狸じじぃを思い起こさせる。



「これはこれは、本当に光明様が仰っていた通りの美しさですなぁ」

呵呵と笑いながら言われれば、三蔵は憮然とするしかなく

「いやいや、嫌がらず、年寄りの昔話に付き合って下されよ?三蔵様。
 この年ともなると、もう、光明殿の事を良く知っている方と出逢う機会も殆どありませんしな
 何よりも、生の光明殿を知っておられるお方となれば……

 もう、こんな機会は二度とありますまいて」


有無を言わさず付き合わされて
般若湯は、イける口ですかの??等と言われ。
酔っ払ったじじぃは、嬉しそうに昔を語る。

聞かされるお師匠様の姿は、矢張り懐かしく。思い起こされるは、優しい時間。
自然、三蔵の口元に浮かぶ笑みを見た狸は

「やはり、三蔵様は光明殿に似ておられますなぁ。
 あの方も美しい方でしたが、良く、三蔵様の事を褒めておられましたよ」

そして語られ始めた、三蔵の知らない師匠の話。
その始まりは、何処にでも流れている下世話な噂話。


『光明三蔵法師には愛弟子であり稚児でもある少年が居て
 幼い頃より手元に置いて、自分好みに育てていらっしゃるとか』
『その稚児の味が良い為、他の稚児は置かないそうだ』
『川から流れてきた捨て子との事だが、大方、口減らしで殺される予定だったのであろう』
『運の良い子供だ。拾った方が光明様で、しかも見目が良かったおかげで、最高僧の稚児となれたのだから』
『川から流れて来たと言うのも、事実かどうか』
『と言うと?』
『見目良い子供の斡旋なら、幾らでもあるであろう』
『貧しい親なら、子供も簡単に売るだろう。売った買ったでは外聞も悪い』
『あぁ、成程。下稚児と言う訳か』


娯楽の少ない場所では、人の噂話が最も楽しい娯楽となりうる。
無論、寺院もその例外では無く。
そんな中、元々『光明三蔵』その人物が、あらゆる意味で有名であった為
あの光明三蔵様ご寵愛の稚児とはどんなモノであるのかと、噂ばかりが流れていく。
江流が育つにつれて、その容姿についての噂も流れ
『光明三蔵には江流と言う名の見目麗しい稚児が居る』というのが、公然の事実として受け入れられていた。
そして、どこにでも、ただ、面白いからとある事ない事を噂する者
事実の確認をする事も無く、噂を事実として扱う者
身の程を知らずに己の容姿で成り上がろうとする者、そんな者達が居るもので。


それらも相まって、尾鰭、背鰭をつけた噂が鮪の如く物凄い勢いで泳ぎ進んでいた。


僧綱が在任していた寺に光明三蔵が訪れた時も
やはり、その噂が持ち切りで。

当時その寺を仕切っていた者は、光明三蔵の威信を借りたい檀家に
光明三蔵が逗留している間の世話係りをつける様に、と押し切られた。

その結果、光明三蔵はその寺に逗留中、世話係の名目で
小坊主と言うのは名ばかりの、剃髪を遅らせておいた見目良い者達を、何名かつけられる事となる。
寺院を仕切る者達は、光明三蔵に何とか一度でも手を付けさせられないものかと必死になり、
また、小坊主達も、一度でも慈悲を受ければ寺院内での地位が格段と上がる事を知っていた為
一度と言わずあわよくば、その寵愛を受けられないかと必死になった。

しかし、光明三蔵は全く気にしない様子で
その日の説法や仕事が終るとふらりと消えたり
あれこれ世話をする小坊主達の甲斐甲斐しさや
細々とした気遣いを褒めはするものの、それに色を含んだ物は全く無く。
小坊主の中には、態と

『光明三蔵様には、とても美しい愛弟子がいらっしゃるとの事ですが』

と、江流の話を持ち出し、どの様な色事をしているのかと、聞き出そうとする者も居たが
その者は、延々と

『愛弟子である以前に、自分の息子でもある江流を自分がどれほど愛しく思っているか』

を、聞かされる羽目となる。
その内容は、江流と言う少年がどれだけ美しく、気高く、聡明で
実は優しいのにそれを隠している、ちょっと意地っ張りな所があって
そこがまた、自分にとっては堪らなく可愛くてしょうがない、と言う内容を
親馬鹿視線満載で、目尻をさげた光明三蔵に滔々と語られ

『もう、本当に可愛いんですよ!!』

で、締めくくられた。
その話に色事の類は、全く含まれていなかった。
会話から稚児が理解できた事は、たった一つ『光明三蔵様は、無類の親バカ』と、言う事だけだった。


光明三蔵の逗留する日数も、とうとう終わりに近づいた頃
少しでも、逗留してもらう日数を伸ばしたい寺院側は稚児達を煽り
稚児達は露骨に迫る者も多くなっていた。
強行手段で催淫剤やら精力の付く物を、食事や飲み物を運ぶ際に混ぜ込んだ稚児もいたのだが
それを食した筈の光明三蔵は、全くの無反応。


終いには焦れた檀家が、当時、その界隈では見た目の美麗さは勿論
芸も技も随一と噂の色子を連れて、寺院に乗り込んできた。


檀家はその寺院に多額の寄付をする商人で、何とか光明三蔵と繋がりを持ちたかった。


光明三蔵の書であれば、一枚でも高値が付き
三蔵法師との繋がりがあれば、この寺だけではなく、もっと大きな寺院への出入りも夢では無くなる。

しかも、子飼の色子に手が付けば、その色子の価値は恐ろしく上がる。

強引とも言える手段でその色子を伴いやってきた商人は
これまた強引な手段で、光明三蔵への謁見を段どっていた。
平身低頭、態度と言葉には尽くしすぎる程の礼を尽くしてはいるものの
狙いがあからさま過ぎる商人には、流石に控えていた僧達の中にも、眉を顰める者達が大勢居た。

しかし、既に商人はこの機会を最大限に生かす為、形振り構って等はおらず。
連れてきた少年を光明の前に進ませ、伏せていた面を上げさせる。

その者の美しさに、そこに控えて居た僧侶達は息を呑む。

しかし、僧侶達の反応など商人に取ってはどうでも良かった。
問題は、光明三蔵こそが、どう思うかである。
常に人の良い笑みを浮かべては居るものの、だからこそ、実際の腹の中が恐ろしく読み辛い。
商人は、じりじりと光明三蔵の反応を窺っていた。


光明三蔵が、一瞬『おや?』と言う顔をした後に、柔らかく微笑む。


その反応を見た商人は、意を得たとばかりに光明に色子を売り込む。
見た目の美しさだけで無く、どれだけ芸に優れ、技を持ち、人々を惹きつけるか
魅力溢れる当代一の色子であり、どれ程人気があるか
その色子を、ぜひ、光明三蔵様に一度お試し頂きたいと、商人はその才覚に掛けて売り込み続けた。

豪華な衣装に身を包み、美しい黒髪をした少年は
そっと首を傾げて、上目遣いに光明三蔵を見る。
その頬は、ほんのりと桃色に染まり
艶やかな紅が点された唇が、名乗りを上げようとほんの少し開いたまさに、その瞬間



「素晴しいお着物ですね」



しみじみと、光明三蔵が呟いた。

「さ、流石にお目が高い!三蔵様、この着物は……」

光明三蔵が、初めて言葉を発した為、商人は躍起になって着物の素晴しさを語り始める。
白い反物を染めたのではなく、染めた糸で反物を織り上げたのだとか
その際に模様になる場所に、金糸を織り込んであるのだとか
肩から胸元に掛けての、柄についての説明から
背中の柄を合わせる為に、職人達が、どれだけ技術を要するかとか
次から次へと説明を続けた上で、コレだけの着物を着こなせるのは、この色子しか居ないと締めた。
出鼻を挫かれた色子は、そのまま声を発する事ができず
商人をちらりと見たが、そのまま面をやや俯き加減にし
そっと、心に秘めた思慕を伝えるかのように
上目遣いに、色をこめた眼差しを光明三蔵に送る。

商人が、色よい返事を頂こうと身を乗り出し
控えていた僧侶一同が、流石にこの色子ならば、光明三蔵も断るまいと思ったその時


「いえね、私は着物も柄も良くは解りませんが
 その方が面を上げられた時に胸元にある文様―――そう、その花の色
 それが、目に飛び込んできたのですよ」

のんびりと話し始めた光明三蔵に、皆の目が集中する。
しかし、そんな事は全く構わない彼の人は


「何故かと思ったら、あれです。

 私の最愛の息子―――江流の瞳の色に、そっくりなんですよ」


その一言に商人は、ぽかんと口を開けたまま固まってしまった。


「今まで、自然に咲く美しい花びらの色の中や
 夜が明ける直前や、日が沈む直前に見せる空の色の中にだけ、見つけた事はあったのですが……」


皆の視線が一斉に―――その着物を着ている色子の視線すら―――きものの花に集まる。
其処には、確かに美しい紫色で花が織られている。
花弁の中心が淡く、そこから徐々に外に向って濃くなりゆく紫色には
細い金色の糸が混ぜ込まれて織られているため、光を受けると淡く光り、花自身が浮き上がって見える。



「あの子の瞳の色に似た色を、人の手が作り出した物の中でみつけたのは、初めてなんです」



『ほう』と嬉しそうに溜め息を吐きながら語る、光明三蔵の『己が稚児自慢』はその場を沈黙させるのに充分で。


「――――本当に、良いものを見せて頂きました。
 実は丁度、幾日かは速いのですが仕事の切りもついたので、明日にでも発ちたいと思っていたのですが
 その紫を見た瞬間に―――お恥ずかしい話ですが、今すぐに、愛しいあの子に逢いたくなってしまいました」






並べられる言葉は、ただの『惚気』にしか聞こえず。






周囲が既に見慣れていた、アルカイック・スマイルでは無く
それはもう、嬉しそうに楽しそうに目尻を下げて語る光明三蔵に、誰も何も返せず。




結局、本来は面目を潰されたはずの少年の方が心得たもので、先程までとは全く違う柔らかな笑みを浮かべ

「その様に、三蔵様に大切に想われているのであれば
 一人で待っていらっしゃるコウリュウ様も、三蔵様を思い出し寂しく思われている事と存じます。
 予定より早くお帰りになられる事を知ったら、さぞかし喜ばれる事でしょう。

 三蔵様、どうぞ、道中お気をつけて」


光明三蔵に、深々と頭を下げる。


「あぁ、ご主人が貴方を自慢されるのが良く解ります。今日は、本当に良いものを見せて頂きました」

「いえ、私こそ光明三蔵様にお会いできて、大変、楽しゅうございました」


その道で一流と言われている者にとって、引き際と云うものの重要性は心得ていなければいけない。
少年は確かに一流と云われるだけあって、早々に事態を呑み込み切り上げるのも速かった。
商人も漸く呑み込めた様で、頭を下げて引き下がるしかなかった。



結局、光明三蔵はその謁見が終った後
本当に、纏めて置いた荷物を持って寺院を去っていった。


その日の出来事は、その寺院で伝説の一つとなり、その後も長く語り継がれている。


「『あの当代一の色子よりも美しいらしい、光明三蔵様の稚児のコウリュウとは一体どんな美童であるのか』
 それが、光明殿が発たれた後の寺院では、暫くの間、議論されたものよ。
 わしは、あの日。発たれる光明殿を慌てて追いかけて、途中まで送ったんだがの―――」



すみませんねぇ、本当に慌しくて。

にこにこと笑う光明三蔵は本当に嬉しそうで。

「送る道すがら、うっかり江流殿の事を聞いてしまってな」

それはもう立て板に水とはこの事かと、嬉しそうに、突っ込む隙も与えず語られる少年の話。


「―――――あれは、ただの親バカじゃった」

 
思わず、素直にその感想を伝えたら



当たり前ですよ。 だって私は、あの子の『お父さん』なんですから。
 


「あの時は、本当に笑ったのぉ。
 わしはあの時ほど大笑いした事は無かったよ、三蔵様。
 寺の者達の馬鹿馬鹿しさ、噂の馬鹿馬鹿しさ、それを少しでも信じた己の馬鹿馬鹿しさ
 そんなものの全てが相まって、可笑しゅうて可笑しゅうて」


そして、同時に理解した。
大切な子供だからこそ『光明三蔵様の稚児』と云う噂を、態と泳がしているのだと。


「余程のバカで無ければ、光明殿の稚児に手を出したりはせんだろうなぁ」


光明殿を敵にした時点で、この世界では生きて行けなくなるであろう。
自分の不名誉な噂だとか、世間体だとかそんなものはどうでも良いのだ、この御人は。


「何と言っても、光明殿は『お父さん』で在らせられたからの」

親が子供を守るのに、手段など選ぶわけが無い。
そして、この寺院の出来事は、そう時間も経たずに他の寺院にも流れる。
どれだけ江流と云う少年が光明三蔵に愛されているか、僧侶達はまた、面白可笑しく噂しあうのであろう。



「大事に、育てられましたのぉ―――江流様」



かっかっか、と笑いながら、杯を重ねる狸じじぃと向かい合う三蔵の頬には赤みが差し
それを誤魔化すかのように、手の中の杯を煽った。







後年、悟空が幼い頃の己と同じ様に『玄奘 三蔵の稚児』と噂が流れた時に
必要であれば、使えるのであれば、噂でも利用する強かさも学んだ。
師が己を守ってくれていたその、何百分の一にも満たないのは理解していた。
非力な自分には、守るものを持てるだけの力が無かった。
寧ろ、幼いながらも自身を守るだけの力を持ち
幼く馬鹿ではあるが、愚かではない悟空の方が『江流』よりも強い。

だから、最低限の事しかしなかった。




する必要が無いと思っていた。




だから自分達は―――『親子』でも『家族』でも無い。



親が子に教えるべきこと、家族同士で教えあうことを、三蔵は悟空に教える事が出来なかった。
自分と悟空の間には、自分と師との間にあった関係を築く事など出来ず
また、普通の家庭とは云い難い状況で育ち、僧侶となった自分と
悟空が今後の人生で進む道は、全く別の物となる。
それらを踏まえれば、今からでもあの二人の庇護下に悟空を送り出したほうが
双方の為だと、三蔵は結論付けたのだが。







こんな厄介な事になるのであれば、もっと早くに送り出すべきだった。






目の前の問題を先送りにしたくて、過去に逃げて見たものの
結局、目の前の問題からは逃げられる筈も無く。


黙り込んでしまった三蔵の顔を、じっと見つめる悟空。



「三蔵」



並々ならぬ決意は、その眼差しにも声にも力を与えて三蔵を囲い込む。


「俺、」




聞きたく無かった。



「俺は、三蔵が好きだ」



その好きの意味が、悟空の中で変ってしまった事を知りたくなかった。



「好きだから、どこにも行かない。三蔵の傍を俺の居場所に決めたんだ」



どんどん、自分の逃げ場が無くなっていくのが解る。



「三蔵に出逢った時は、ただ、三蔵が綺麗だと思ったんだ。
 それから色んな人達に出逢って、色んな事を教えてもらって
 いつの間にか、三蔵の存在が変っていったんだ―――――最初は、解んなかったんだけど」



三蔵は、思い込みや勘違いだろうと鼻で嗤ってやりたかった。
けれど実際には、悟空の方が三蔵よりも、色々な人間関係を作れているのを知っている。
それは寺院の中でだけでは無く、町の中でもだ。



「町で、女の子に告白されたりした事も何度かあったけど」



待て、それは、初耳だ。



「顔見たくて、だけど見るとどきどきしたり
 ほんの少し触るだけで飛び上がるくらい嬉しいのに
 もっともっと、触りたくなったり
 寝顔見て、キスしたくなったり
 夢を見て、夢精しちゃったりするのは、全部、三蔵に対してだけなんだ」





俺は、お前の寝顔見て、実は少しだけ癒されてたりしたのにな。





「だから、三蔵」





「腹を括って、これからの俺に―――付き合って下さいっっ!!」







スパァーーーーーン!!!!






多分、悟空が今まで叩かれた中で
一番痛かったのでは無いかと思う強さで、振り下ろされたハリセン。


―――叩きのめされた悟空は、その場で蹲った。







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