三蔵と云う人間は、ああ見えて、物凄く面倒見が良い。
キマジメナ アナタ
仕事には手を抜かない上に、周囲に足元を掬われない様
文句を言いながらも完璧にこなす。
その上で、時間を作り悟空を伴い町へ連れて出る。
五行山から長安までの間を、二人で歩き幾つかの町を通ったものの
その時は寄ったとしても宿と食堂だけ。
しかも、急いでいた為
悟空にとっては物珍しく、きょろきょろと周りを見てはいたものの
その時は、ゆっくりと町を散策したりはできなかった。
初めてと云っても良い町に興奮して
あちこち歩き回ろうとする悟空に手を焼いた三蔵は
ハリセンを振るいながらも、聞かれた事には些細な事にも答えながら
悟空のこれからの生活に必要な物を買っていった。
悟空が初めて町に連れて行かれた時は
まず、下着扱う店に行って子供用の下着を買ってくれた。
無地の物は勿論
愛と勇気がお友達の空飛ぶパン男がワンポイントに入った物
おしりの部分一面が可愛いくまの顔になっている物
果ては、おしりの部分に尻尾の絵が、そして前にはうさぎの顔と言う凝った物まで
『子供が喜んで履きそうな下着を、入荷して置いて欲しい』
と、三蔵が直々に連絡をしておいた下着専門店の店主は
専門店の名に恥じぬだけの品数を揃えて二人を驚かせた。
無論、店主に抜かりは無くパンツと揃いの肌着や
履き心地も良く、足の負担を軽くする色とりどりの靴下も三蔵の前に並べ
三蔵はその品揃えに満足し、洗濯代えを含めて大量に購入した。
会計を済ませている際に
店主に子供服を取り扱っている店を尋ね
結構な量になった紙袋を悟空に持たせると
次は子供服を扱う店に向う。
次の店に着くと、既に店主が連絡をしてくれていた様で
何枚かの洋服が用意されていた。
悟空は着せ替え人形の如く試着をさせられ
あっちこっちを引っ張られ
サイズの合うものの中から更に着心地良く
丈夫で機能性のある洋服が選ばれた。
三蔵に手を挙げさせられたり
屈伸させられたりしながら
どの色が気に入ったのかとか
先程のと、今着ているのとどちらが着易いかとか
あれこれ聞かれて考えて選んだ洋服も結構な枚数となり
前の店で購入した下着も纏めて、寺院の方へ配達をしてくれると言われた三蔵は
下着を2セットを残して後は配達する様に依頼した。
悟空が、何故、下着を2セットだけ持ち帰るのかと訊けば
「直接肌に触れるんだから、着る前に洗濯が必要だからな
今夜洗って置けば、荷物が届くまでに時間が掛かっても何とか凌げる」
Tシャツやズボンはまだ三蔵の物がある。
しかし、下着はまさか三蔵の物を、と言う訳にもいかず。
悟空が今、履いている下着は
寺院の小坊主達の為の備品を、厭味を言われながら申請して貰ったのである。
そして寺院は、当然のように一枚しか寄越さなかった。
寺院に荷物が届くのが明日でも、すぐに三蔵の元へ届くのかは不明である。
そこら辺も、寺院に帰ったらきちんとしておこうと三蔵は考える。
次は靴屋に行き、動きやすくて質の良い物を選び
主要な物の購入が終った所で、我慢していた悟空に促されて昼食となるが
恐ろしい量でたいらげて行く悟空を前に、三蔵はうんざりした表情を浮かべたものの
強請れば、デザートまで食べさせてくれた。
その後、偶然見つけた雑貨を置く店に立ち寄り
髪の毛を梳かすのに、柘植の櫛は勿論
艶を出す為に、豚の毛で作ったブラシも購入。
最後は本屋に行き、三蔵は1冊の本を購入し帰路につく。
もっとも、町の中には出店があり
帰る道すがら、あちこちに悟空が引っ掛かり
結局、オヤツ代わりに屋台で肉まんや串焼きを
ハリセンと文句付きで悟空の荷物に追加する破目となる。
悟空は嬉しくて、三蔵にお礼を言うと
ぽん、と三蔵の手が悟空の頭に置かれた。
その掌の温かさ嬉しくて、嬉しくて
その日は寺院に帰ってからも
ずっと、顔が笑ったまま元に戻らなかったが
三蔵は、そんな悟空に構わず、いつも通り新聞を読み、その後は買って来た本を読んだりしていたが
三蔵を取り巻く空気は、いつに無く柔らかく。
ほんの少し、口の端が上がっていたのを悟空は見逃さなかった。
今思い出しても、悟空の心の中がくすぐったく温かくなる思い出。
三蔵との初めてのお買い物は、悟空にとって大切な思い出―――のはずだった、が
その時に三蔵が読んでいた本が、幼児向けの躾の本で
実際は悟空が13歳であったにも関らず、悟空の見た目の幼さと身体の大きさから
三蔵が、悟空は10歳にもなっていないであろうと判断していた為に、
一寸どころか、かなり年齢に合わない恥ずかしい下着だったと言う事を知るのは、随分と後の事となる。
しかも、悟空の成長はその後あまり変らなかった事
また、三蔵も悟空も『別に、履けるからいいか』と年齢が解ってからも結局、破れるまでは普通に履き続けていた為
猪 悟能事件後に暫く寺院預かりとなった八戒が、悟空の下着を見て絶句し
三蔵に向って『良い、御趣味をお持ちで……』と
何とも言えない表情をして呟いたきり、固まっているのを見ても
三蔵と悟空は、訳も解らずキョトンとしていたのである。
その頃には既に手遅れで、寺院内でも町でも
三蔵様は寵愛している稚児に幼児用の下着をつけさせる、立派なショタコン主義だと認知されていた。
もっとも、世間一般の常識からずれていた二人は
全くそんな噂は知らなかったし、気にもしてなかった。
そんな二人の様子を見た八戒はその後、寺院育ちの二人の為に
世間の常識を、さり気なく教えるのに、一役買う事となるのである。
八戒と知り合い
悟浄と知り合い
三蔵も悟空も、それぞれに少しずつ世界が広がっていった。
特に悟空は恐ろしい勢いで知識を吸収していく。
今まで、三蔵のみ向けられていた全ての感情が、三蔵以外にも向けられるようになった。
子供は大人と違って、柔軟性に富み強かだ。
そのうえ悟空は、順応力にも富み包容力があり、物事の本質を見極める目を持っている。
そんな悟空に、初めのうちは教えていた筈の大人達は
本質的なところで、様々な事を知らず知らずに教えられ、導かれ救われる様になっていった。
そして、気が付くと
三蔵が、悟空に対して少しずつ、距離を計る様になっていたのである。
それは、多分、三蔵にとっての常識だったのであろう。
子供はいつか、親の手を放れるもので
悟空にその時期が迫っているのだと、三蔵は感じていた。
そして、なるべく早い時期に手を放すべきだと考えていた。
三蔵は、悟空と暮すようになり、最初は手の掛かるペットを飼った気分を味わった。
まず、躾に手が掛かる。
自分が居ない時は、駆けずり回り悪戯をして部屋をめちゃくちゃにして
ハリセンでぶん殴れば反抗してくるものの、結局、いつも付いて廻る。
ソレらが自分に構って欲しいからだと気が付いた時には、一寸、感動した。
どこまでも『三蔵、三蔵』と自分の名前を呼び
意地悪く突き放せば、途方に暮れた何とも言えない表情を見せる。
それが『嬉しい』と思ったのは、いつの事だったか。
罪悪感を打ち消す為に構ってやれば、全身で嬉しいと感情を現わした。
猿と云うより犬だな、と―――そんな風に思っていた。
しばらくすると、気が付く。
悟空は、教えていないのに箸の使い方や挨拶は勿論
人に対して何かをして貰った時の『ありがとう』
悪い事をした時に『ごめんなさい』
そして、帰ってきた時の『ただいま』と『お帰りなさい』
三蔵に教えられる迄も無く、当たり前に知っていた。
悟空は、少なくとも五百年前には『誰か』と暮らしていたのだ。
自分以外にも、居たのだ――――『ただいま』と『おかえりない』を言い交わす相手が。
別に、おかしな事では無い筈だった。
赤ん坊を拾った訳では無いのだから、其処まで育てた者がいて当たり前の話だ。
三蔵自身、12歳迄は師である光明三蔵に、慈しまれて育ったのだから。
なのに、その事に気が付いた瞬間、三蔵の腹の底にズシンと冷たいモノが生まれた。
それが、嫉妬と名のつく感情だと気が付くまでに、聡明である筈の三蔵が、かなりの時間を要した。
自分じゃなくても、悟空はあの笑顔で『おかえりなさい』と言うのだろう。
よくよく考えれば、今は偶々ここに居るだけで。
金鈷の事さえなければ、自分が近くに居る必然性など全く無い。
『だから、動物を飼うのは嫌なんだ』
情が移れば、手放し難くなる。
三蔵の中で、悟空がペット以上の物になる事を拒否し
腹の中の感情に蓋をする迄には、時間を要さなかった。
保護者としての役割を果たす事
自分が偶々拾った為に、保護者となったのだから
別に対象物に好きも嫌いも無く、感情など持つ必要も無い。
それで良いのだと、三蔵は考えを落ち着けたのだ。
大人には、見ない振りも必要なのだと、大人の振りした子供は嘯いた。
三蔵は、悟空に対して当たり障り無く接する様に努めた。
そして、悟空は
そんな三蔵を傍で見つめながら―――実はこっそりと、微笑ましく思っていた。
素直になれない三蔵は、とても可愛い。
距離を計る彼に最初は悟空も戸惑った。
自分が、何か悪い事をしたのでは無いか?とも思ったのだが
三蔵は、悟空が悪い事をしたら容赦無く叱る。
なので、違う。
そうすると、他に思い当たる事が無かった。
だから、三蔵の行動を注意深く見てみた。
気配に敏い人だけれど
昔から、悟空の視線に対してだけは無防備になる事が多い。
それと云うのも、悟空は三蔵と出会ってから
ずっと、見つめていたからであろう。
三蔵にとって、悟空の視線は
自分を追いかけているのが、当たり前だったからである。
そして、気が付く。
当たり前に生活していて
悟空から三蔵に飛びついたり話しかけたりする事はあっても
三蔵から悟空に話しかけたり触れてくる事が、極端に少なくなった。
朝の髪結いはずっとしてくれている。
けれど、それ以降は三蔵から触れてくる事は無い。
悟空から話しかければ、普通に答えるし五月蝿くすればハリセンも飛んでくる。
けれど、暖かな手が悟空の頭を撫でたり、小突いたり、ほっぺを引っ張ったりする事が無くなったのだ。
そして、その手を差し出しそうになり、すぐさま下ろす三蔵の手に気が付いた。
三蔵の瞳に浮かぶ自嘲の色や、悟浄や八戒に構われる自分が振り返った時に浮かぶ、自虐的な微笑み
その、どれもが悟空を喜ばせた。
まともな三蔵は、まともな大人として振舞おうと必死になっている―――それも、全て悟空の為に。
嬉しくて、泣けそうだった。
悟空は、自分がどこに属する者かが解らない。
大地から産まれたのに人型をし
人と同じように感情を持ち、腹も減れば痛みも感じる。
人型に生まれた事に、何の意味があるのか
岩牢に幽閉される迄の記憶も
何の罪を犯したのかの記憶も無く
金鈷が外れれば力のままに暴れ、人でも妖怪でも無い自分。
そんな悟空を、三蔵は恐ろしく大事にしてくれている。
大事に大事に想うあまり、三蔵は自身の感情に目を瞑り抗っている。
そして、三蔵自身がその事に気が付いていないのだ。
三蔵と出会い、色々な人間を知り生活して
周囲や世間を知れば知るほど、悟空は三蔵の高潔さを知った
三蔵は、とても綺麗な人だった。
きらきらしている髪、整った貌、宝石のような瞳、朗々たる声。
それらは、恐ろしく美しい彼の人の魂の器に相応しく
器と中身が此れほど吊り合っている人を、悟空は見た事が無かった。
知れば知る程、三蔵に惹かれていくのは、悟空にとって至極当然の事だった。
気難しいお人だと、坊主達が言うのを聞く度に
首を傾げざるを得なかった。
悟空にとっては、三蔵はとても解りやすく真っ直ぐな人だったからだ。
そして、その生真面目さで三蔵は、自分の首を絞めやすい人だと思っていた。
寺院は閉塞的で権力と名声の怨念に溢れていた。
そんな環境の中、周囲と立場が違う二人は
二人だけの狭い世界と云う物が出来上がっていた。
そこは、とても暖かな世界で、悟空は満足していた。
三蔵が多少の距離をおいても、別に悟空は構わなかった。
三蔵と自分が居れば、成り立つ世界だったからだ。
二人で居れば、精神的に互いが安らげる場所となり
そこには余計なモノが何も存在しなかったから。
三蔵が距離を置いても、二人しか居ないのだから
悟空は気にせずにその日合った事を話し、じゃれ付きハリセンを貰ったり笑ったりした。
そして三蔵は、悟空がじゃれつくのも話すのも止めなかった。
三蔵には、拒否する事など出来なかったのだ。
だけど、そんな状況が一変する。
八戒と悟浄に知りあって、二人が自分達の世界に関ってきた。
八戒は三蔵と同じ様に静かな空間を好み
博識で料理上手で卒の無い人だった。
悟浄は三蔵と同じ様に煙草を吸い、素直でなく
女性好きで世話好きな御人好しだった。
そして、二人とも三蔵と同じ様に、酒を嗜んだ。
悟空しか居なかった三蔵に
悟空には無い共通点がある仲間が出来たのである。
大人は三人とも、悟空を子供扱いした。
大人と子供で線を引かれた時
悟空の心の中に、重くて苦しい感情が生まれた。
ここにきて、三蔵は悟空との距離を更に置くようになり
今度は悟空の心に、その事実が重く圧し掛かる様になった。
八戒も悟浄も、悟空を甘やかし遊んでくれる。
八戒は常識と美味しい料理を
悟浄は非常識と悪戯と猥談を
それぞれに、悟空に齎してくれた。
けれど、二人は三蔵にも同じ様に接する。
寧ろ、酒や煙草が絡めば悟空は太刀打ちできない。
悟空の世界が広がると同時に
三蔵の世界も広がって行く。
そして、何よりも三蔵が二人に笑い掛けるのが嫌だった。
だから、悟空は決めたのだ。
この、二人だけの柔らかな世界との決別を―――
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