『最近、三蔵様の機嫌が悪い』


近習の者達は息を潜め、それでもしっかりと愚痴を零し合っていた。
常々『神々しくて近寄り難い』などと、言われていたが
現在は、殺気が凄くて近寄れない。

そんな事を廊下の隅で、眉を顰めて語らう坊主達の横を
最高僧である三蔵様の『養い子』は、鼻歌まじりで遊びに出かける。


その後姿に嫌な視線を送り
『イイキナモンダ』
『ヨウカイユエニ、サッキモキニナランノカ』
等と聞えよがしに言われても
養い子にとっては、痛くも痒くも無かった。








 キマジメナ アナタ 








当代の三蔵法師様は、最年少にて『三蔵』の位を極め
見目麗しく法力・体術・知力のどれをとっても芸術的に優れている、長安の誉れ。
人間・妖怪の分け隔てなく接し
妖怪の子供にすら大いなる慈悲を持ち、そのお手自ら差し出し救い庇護されている。


―――と、実しやかに囁かれる彼の人のお人柄


『玄奘 三蔵』の本質を知っている者達からすれば、噴飯物だが
『三蔵様』を崇め奉っている者達は、至極真面目にそう思い込んでいる。
そして『三蔵様』だから、品行方正だとか真面目であるとか慈悲深いとか
どこぞの幼児向け偉人伝並みの人格者に改変されて居たりもする。
民衆達は勿論の事、寺院内ですら
あくまで、勝手に『自分にとって理想の三蔵様』を作り上げていたりするのである。


最も、そんな『三蔵様』を良く知っている者に言わせれば


たれめ
ハゲ
仏頂面
鬼畜
生臭
ヘビースモーカー
破戒僧


『効果的に魅せる事を、本能的に知ってるんじゃね?』
『まぁ、間違いなくカリスマ的存在、ではありますよねぇ』
『『破戒僧だけど(笑)』』
『でも、意外と要領が悪くて真面目だよなぁ』
『そうですか?』
『うん』
『お前が言うならそうなんだろなぁ』
『うん』

そう、玄奘 三蔵と云う人は
変なところで『生真面目』だと、養い子の悟空は思っていた。







悟空が初めて三蔵に出逢った時は、彼が随分と大人に見えた。







五行山で悟空は三蔵に拾われ、それからずっと一緒に野宿したり
時には宿を使ったりして、ひたすらに三蔵の背中を追って歩いていた。

―――そしてある日

今まで立ち寄った町とは比べ物にならない、大きな町に入る手前で
まだ、昼間にも関らず三蔵が歩みを止めた。
目の前に町が見えるのに、三蔵は、苦虫を潰した様な表情でその町を見ていた。



『この町は、長安と言う』



今まで、たくさんの町を通ったが
三蔵が町の名前を悟空に教えた事は無かった。

『チョウアン』
『そうだ―――この町にある寺が、今のところ俺の住まいにあたる』
『三蔵の家?』
『今は、な』

なら、どうして進まないのだろう?
どうして、三蔵は嫌そうな顔をしているのだろう?



―――すぐそこに、帰るべき場所があるのに。



『暗くなってから、町に入る』

三蔵はそう言うと、さっさと近くにあった木陰に入り、もたれかかって瞳を閉じる。
残された悟空は、しばらくその姿を見ていたが
しばらくすると、やはり同じ様に三蔵のすぐ近くに座り、同じように目を閉じる。



―――目を閉じて真っ暗になっても、近くに人の気配がする



それが、悟空には何故か怖かった。


三蔵が、触れてこそはいないが近くに居る。
今は敵も見当たらないし、気配を殺しても居ないのだから当たり前なのだが
目を閉じていても、自分以外の存在を感じる。
その、三蔵が居る気配を感じて最初は安心するのだ。


―――だけど


次に目を開けたら、三蔵はそこにいるのだろうか?


そんな考えが悟空の頭の中を過ると、途端に腹の奥底からジワジワと
得体の知れない、黒い染みの様な物が滲み出てくるのだ。
そんな考えが頭を過るのは、三蔵と出逢ってからはいつもの事で。
そうすると、怖くて怖くて目が開けられなくなって
目の奥や肩や腹や掌に不自然な力が入り、あちこちが痛いぐらいに緊張して
三蔵の気配を逃さないように、神経がピリピリするくらい張り詰める。


そんな悟空の張り詰めっぷりに、三蔵が溜め息を吐く。



―――実は、三蔵にとって既に馴染んでしまった悟空のこの緊張感。



悟空本人は必死に隠しているつもりかもしれない。
泣き言もいわず、自分の中で必死に戦っているのも解る。
ハリセンでぶん殴っても良いのだが、どうにも面倒臭くて放置している。
自分が何をしようとも、これはこの馬鹿猿の問題で
悟空自身が何処かで折り合いをつけるか納得するか―――諦めるか
何れにしても、自分で解決するしかないのだ。

だから、三蔵は放っていたのだが―――

出会ってから、すぐに悟空に現れたこの、緊張感。
『こいつ、血管切れんじゃねぇか?』
三蔵が、そう思ってしまうくらいに緊張感で張り詰めた身体。
本当に血管でも切れ様ものなら、さらに面倒な事になる。

―――そんな、理由をつけて『仕方なく』

「猿、肩貸せ」

返事は聞かずに悟空の肩に頭を乗せる。
乗せた瞬間に大きく肩がはねて、実はちょっと、三蔵の額に青筋が浮いたが
そのまま居れば、少しずつ悟空の肩の力が抜け
張り詰めていた緊張感が消えていく。
その結果に満足して、三蔵は昼寝に入る。
悟空は、その肩にある重みと温かさに動けないくらいに固まって
恐る恐る瞳を開ければ、自分の前に広がる風景に格子は無く。
何とか視線だけをそっと動かし、肩に乗っかったきらきら光る太陽を盗み見ると
自然と身体の力が抜ける。
肩に乗っている頭
きらきら光っているそれに、そっと、頬を寄り添わせ一度大きく深呼吸をする。

『あ、三蔵の匂いだ』

何だかちょっと泣きたくなって
すん、と鼻を鳴らし顔を上げれば
頭上に広がる空の青さが目に染みて
ぽろりと一粒、涙が落ちた。
ほんの一粒だけだったけれど
その涙と一緒に、己の中にあった黒い染みが消えていくのを、確かに悟空は感じた。










日が落ちて、三蔵が目を覚ました時
悟空はぐっすり寝ていた。
ハリセンで叩き起こし、携帯用の食料を二人で食べながら
寺院に入ってからの注意を、悟空に言い聞かせる。

「倉庫??」
「そうだ。三仏神に確認を取る迄、暫くお前はそこで他の奴らに見つからない様にしてろ」
「三蔵の家なのに、俺は隠れなきゃいけないのか??」
「だから、『寺院』なんだよ。坊主は何かと五月蝿いし、妖怪に対しては偏見を持ってる奴らばっかりだからな。
 食べ物や毛布は運び入れる」

そんな説明を悟空にすれば、不思議そうな表情で三蔵を見上げてくる。
三蔵自身、馬鹿げていると思うが
いきなり連れて行って坊主どもに騒がれるのは、御免蒙りたい
この子供をどうするのかも、実は決めかねているのだ。
そして悟空は、正直、三蔵が言っている事が良く解らなかった。
ただ、そうしないと三蔵が困るんだと、それだけ解った。

見つからないように、二人でこっそりと忍び込んだ大きな寺院。
僧侶達に見つからないように抜け道を使い忍び込むのに、三蔵はとても手馴れていた。


この綺麗な人は、もしかして『泥棒?』


悟空は真剣にそう思った。

そして、使ってない倉庫に案内されて悟空は軟禁。
その後、三蔵は寺院から抜け出して再度正門から凱旋し
かなり時間が経ってから、差し入れられた食べ物と毛布。




これって、どこの捨て猫?





今考えれば、子供が親に見つからないように
拾ってきてしまった動物を隠すのと変らない。
手順は色々あったかと思うのだ。




あの状況だったら、寺院に行く前に三仏神に行くとかでも良かったんじゃね?




等と、悟空は思ったりする。
そして今なら、悟空にも、まだ、あの時には三蔵自身が
『悟空を拾った』と云う状況に動揺していたのだと解る。
あの時、悟空からは見た三蔵は随分と大人に見えた。


だけど実際は二人とも、世間と常識を知らない子供だったのだ。


その後、寺院側に無理矢理了承を得て
悟空は三蔵と一緒の部屋で暮し始めてから
『実際の三蔵』を、悟空は知る事になる。







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