腕の中の重みは、自分に色々な事を教えてくれる――――例え、それが知りたくなかった事だとしても









幼い君が教えてくれたこと









『自分を必要としない世界を燃やし尽くす』

自分の視界が、思考が狭くなっていた為に気が付かなかっただけで

世界は、いつだって変化に満ちていた―――それに、蝶野 攻爵は気が付く事が出来なかった。
思考も、視界も広がった『パピヨン』は、世界の変化にも自分の変化にも気が付く様になった。
自分だけでは無く、周囲との関り方も関係も変わった。
そして、今―――――腕の中に、最大の変化が訪れていた。




親は無くとも子は育つ




本当に、その通りだと思う。
少なくとも、自分の手元に預けられた幼子は物凄い勢いで育っていた。

ブチ撒け女が妊娠し、男児を出産したと、携帯の留守録とメールで知らせが来た。
生憎、自分はその時色々と忙しく―――しかも、海外に遠征していた為に

『大変だ!!斗貴子さんが妊娠した!!!』と云う興奮した連絡に始まり


斗貴子さんの検診の結果が出たんだ!!
斗貴子さんのつわりが酷くて、物が食べられない!!!
斗貴子さんが安定期に入ったけど、俺、どうしたら良いかな??
斗貴子さんがトレーニングを止めてくれないんだ!!


等と、事あるごとに携帯の留守録に入れられ
そのうち、それだけではなくメールも増え
段々、内容が『知らせ』では無く『相談』になり
偶に、こちらに用があって掛け返せば
この俺が、携帯を切るタイミングを掴めない状態に陥るまで話し続けられ

「携帯に向って叫ぶな喧しい!!」

と、怒鳴り返すのが精一杯だった。
そして止めは、産気付いたブチ撒け女をどうしたら良いかと電話が来た時
偶然、その日は気分も良く、珍しく電話に出たら



「どうしよう!!!陣痛が!!!!」
「とっとと!!病院連絡しろ!!!!」




その後、子供が生まれたら流石に落ち着くかと思いきや

『ソウヤが可愛くて仕方が無い』

毎日、写メ付きで様々な子供の観察日記が送られて来た。
完全なる、親バカ日記。
それは、日が経つにつれ少なくはなっていったが
自分の中に、『ソウヤ』と云う存在はしっかり根付き。

自分の中のやりたい事にも一段落つき
そろそろ、顔を出しても許されるであろう時間も経ち
蝶☆スペシャルな祝いを持って行くかと思っていたその矢先



「頼む、蝶野」



真剣な表情の武藤 カズキから、自分に手渡された『ソウヤ』
その、後ろに居るブチ撒け女も既に戦士の貌で。
子育てを出来る状況では無くなっている事が解る。


「責任は、持てんぞ」
「大丈夫!お前は今までに、何人もホムンクルス育ててるじゃないか! 自信を持て!!」
「一緒にするなぁっっっ!!!!!!」


―――――まったくだ。


ブチ撒け女の見事な攻撃により、武藤 カズキは地面にのめり込んだが
今回ばかりは、ブチ撒け女と同様の意見だ。
大体、ホムンクルスを『造った』覚えはあっても『育てた』覚えは無い。


「お前は、良いのか」


それは、自然に出た言葉だった。


「そこにある鞄に、当面必要なものは入っている。
 アレルギーは今のところ見られない。断乳もしてあるし、離乳食の作り方の本も入れてある」

足元に置かれている鞄。
ブチ撒け女は、すっ、と自分に近寄り腕の中に眠るソウヤの頬を優しく撫でる。
その視線も、仕種も、香りも全てが『母親』だった。  

「パピヨン、言って置くが私はお前が嫌いだ―――けれど、カズキに対してのお前の態度は信頼できるのも事実だ。
 私は勿論だが、カズキが今一番守りたい存在を、カズキがお前に任せたいと決めたんだ。
 それに、何の反対がある?」

後ろで立ち上がった武藤 カズキ。
その気配を察して、母親の顔から戦士のモノへと変わる。

「ただし、ふざけた教育だけはするなよ!!!」
「フン!心配だったらさっさとケリ付けて帰って来い!!」
「蝶野!頼んだ!!」

慌しく去っていく二人の背中を見送る。




「――――これだけ騒いでるのに寝たままとは、貴様、大物だな」












アレから、月日とは流れるのも速いもので
あの時、腕の中にあった塊は
外で転げ回り泥だらけになって、自分を振り回す存在として傍にいる。


「ソウヤ」
「ぱぴおん!!」

名前を呼べば、ぱっと顔を上げて走って来るソウヤ。

「パピ『ヨ』ン」
「ぱぴ、お、ん」
「……まぁ、仕方ないか」

夕方、公園で遊ばせていたソウヤを迎えに行くと

「パッピ~……も、限界」

息を切らした桜花とヘロヘロと地面に落ちんばかりの御前様
買い物をしている間の子守をさせていたのだが

「子供、の、体力って……侮れませんわね」

何とか、息を整えた桜花が溜め息を吐く。

パピヨンのマスコット的存在の蝶の妖精さん(と、勘違いされている御前様)と
見知らぬ綺麗なんだけど近寄り難いというか
近寄ってはいけない雰囲気のお姉さんが子守をしていた少年は、現代の都市伝説の足にしがみ付く。


夕方の公園に現れたパピヨン。


本来は騒ぎになってもおかしくないのだが、既にこの公園の名物となっているため
他にも遊んでいる子供や家族が沢山居る。

「随分、時間が掛かったようだけど何かあって?」
「あぁ、子守が居るうちにスーパーを何往復かして食料と備品のストックをな」

さらりと返された言葉に、桜花は微笑む。

「しっかり子育てしてらっしゃるので安心ですわ」
「ぱぴ、お、ん!!」

『自分の方を向け』と、足元のソウヤが必死にぺちぺちと膝の辺りを叩いてくる。

「何だ、ソウヤ」

仕方なく、抱き上げてやれば両手を挙げて『きゃっきゃ』と喜び満足そうに息を吐く。

「あらあら、私に焼餅かしら」

うふふと微笑む桜花を無視して、ソウヤの頬についた泥を爪で傷つけぬように指先の腹で拭ってやる。

「それでは、そろそろ行きますわね」
「おーかちゃ、ありやとね」
「ソウヤ君、またね」

目線をソウヤに合わせて手を振り去って行く桜花。
御前様は残るらしく、当たり前の顔をして桜花に手を振っている。

「今日は、ついでに夜も子守してやる!!」

えへん、と胸を張っている御前様にソウヤは何故か拍手をしている。
気がつけば、周囲は茜色に染まり影が伸びる。
日が落ちかけているため、この季節は寒くなるのも早い。


「さて、そろそろ帰るかソウヤ」
「ん~……、ぱぴおん!ぱぴおっ!!」


いきなり、名前を連呼してべしべしと力一杯胸元を叩いてくる小さな掌。


「いきなりなんだ、貴様は?!まだ、遊びたいのか?」
「はぁと!!!」
「?鳩なんているか??」
「かげ、はぁと!!」


必死な顔の目線を辿って見ると、地面に映る影。
ソウヤを前で抱かかえているその影は、言われて見れば確かにハートに見えないことも無い。


「ぱぴおんとそおやで、はぁと、ね」


瞳をキラキラさせて、真っ赤なほっぺたで首を傾げて満足気に笑う子供。

「俺様とお揃いのハートだな!」

御前様がアンテナの先のハートを揺らし胸を反らせて胸元のハートを強調する。

「おそろい、ね~」

嬉しそうにニコニコと笑うソウヤの頭を撫でてやると、更に嬉しげに笑う。

「ぱぴおんとそおやではぁと、うれしいね~おそろいね~」

御前様の言葉を真似て、はしゃぐソウヤ。
影を見て喜ぶ姿に溜め息を吐きつつ、飛ばずに歩いて家に向う。




ハート
一般的には、心臓や愛を表すシンボル
温かで柔らかで聖なるもののイメージを表すソレを、自分と作れて嬉しいと笑う幼子。




それはとても無邪気な好意で、時に自分を苦しめる。





いつか、子供は知るだろう。
蝶人パピヨンが人間を喰らった存在だという事を。
錬金戦団と関っていればいずれ解る事で、増して、自分はその事実を隠すつもりも無い。
人間を喰らった存在と自分の事を知った時、この想い出がお前を苦しめるのでは無いのだろうか?
優しい子供は、自分を切り捨てられずに苦しむのではないのだろうか?

武藤 カズキ

貴様は、解っていて子供を俺に預けたのだろうか?


「ぱぴおん?……そおや、おもい??」

つい、考え事をしてしまい黙り込んでしまった為、ソウヤが心配して顔を覗き込んでくる。

「いや、ソウヤは重くない。寧ろ、まだまだ軽いくらいだ」

そう云って、軽く何度かぽんぽんと宙に投げてやれば声を出して笑う。

「だが、ソウヤ。コレだけは、覚えておけ」

ソウヤをもう一度しっかり抱き上げ、目線をしっかり合わせる。

「お前の体重は、まだまだ軽い。お前はまだ子供で小さな存在だ。
 ―――――だが、お前の身体に宿る命は重く尊いモノだ」

ソウヤは、首を傾げてきょとんとしている。
当たり前だ、この年齢の子供に解らないのは百も承知だ。
まだ、記憶にも残らないかもしれない。
それでも、クソ生意気なガキになる前に、コレだけは伝えたかった。


「そして、お前の命同様―――――誰のモノでも、命というものは尊く大切なものだ。
 だから、簡単に奪ったり奪われたりするモノでは無い。
 お前の両親は、そのために今も闘っている。いずれ、お前も闘う事になるかもしれない。
 命の遣り取りをする必要も出てくるだろう。だからこそ、忘れないでくれ」


理解できていなくも良い。
今は、解らなくて良い。

解らないからこそ、こんな懺悔をしているのかもしれない。



「そして、お前が決めて闘うならば――――俺は、必ずそれを見届けよう」



雰囲気に呑まれたのか、ただ、黙って神妙な表情で俺の顔を見上げる子供。
すでに、日は殆ど落ちて影も無い。
肌寒さも感じ、余計に腕の中の子供体温があたたかく感じる。


「さて、ソウヤ。今から飛んで帰って夕飯だ」
「ごはん?!」


お腹が空いていたのか、良い反応が帰ってくる。


「そうだ、今日はパピヨン特製☆ハンバーグだ」
「うわぁ!!ぱぴおん、はやくかえろ!!」
「よし、しっかり摑まってろ」


羽を出して、地面を蹴る。
両手で抱えられている子供は、自分の首にしっかりと手を回して摑まり
上から見る町を見て歓声を上げている。
空気を読んで、隠れていた御前様が何処からとも無く現れてソウヤの笑い声が響く




この子供は知らない。
どんな想いで、自分の口から命の重さが語られたのか――――
どんな想いで、腕の中の存在を守っているのか――――




罪を認めて生きてきた。
ホムンクルスを造った事も、蝶人になった事も後悔はしていない。
けれど、皮肉にも今になって突きつけられる命の重さ。
伝わってくる温かさの重みを、嫌というほど知らされて。
どんな人間にも、過去があり家族があり子供の時代があり――――そして、同じぬくもりがあったのだ。



ソウヤが来てから、自分の生活は変わった。
今までの気楽な独り暮らしが、子供中心の生活になり
目を通す書物は子育てに関するものや児童書、それに料理の本になり
子供を育てるのが、どれほど手間が掛かり難しくムカつく事であるかを知り
その笑顔がどれほど自分の疲れを癒すかを知り、全身で自分を必要としてくる存在を初めて知り
そして、手間が掛かる分――――ソウヤを愛おしく想う事を知った。
だが皮肉な事に、ソウヤと言う存在を育てる事によって
自分は、罪を『認めていた』だけで、罪を『感じていた』訳では無い事を知った。
罪を背負って生きると云うのは、罪を自分で感じることが出来て初めて成り立つ生き方だ。
これから自分は、最も身近にぬくもりを感じる事によって、初めて罪を背負って生きる事になる。




武藤 カズキ




貴様が何を想って自分にソウヤを託したのかは、解らない。
俺に何を教えたかったのか、ソウヤに何を教えたかったのか――――或いは、その両方か。

だが、貴様が帰ってきたら伝えたい事がある。




だから、帰って来い――――必ず、二人揃って。




腕の中の子供が、寒くならないように抱きしめる手に力を込める。

「ぱぴおん、まち、きれいねぇ」
「そうだな」
「はね、もっときれぇ」
「危ないから、触るなよ」
「あい」

可愛い返事と共に、しがみ付く手に力が入る。
紅葉のような手と、自分に比べて非力な力。
その、非力な存在を失う事が怖い自分。





知りたくなかった事実を自分に突き付けた幼子は

「ぱぴおん、きれいねぇ」

と、腕の中で無邪気に笑う。











この笑みを壊さぬうちに、早く帰ってきてくれと―――――何かに初めて祈った夜。












                                   END