その女が、自分を見ている事には気が付いていた。
廃ビルの屋上。
それは、夜明けであったり
夕方であったり
昼間であったり
時間はバラバラで、自分が気が付いたのはかなり前。
そのビルは、自分が東京タワーに行く時に通る道にあった。
廃墟と化したビルの屋上に佇む女。
てっきり、世を儚んだ類だと思ったのだが。
よく、見かけるようになった。
見かけない時もあったが
自分が東京タワーの上に現れ、ネットやニュースで流されると
必ず、帰りにはそのビルの上で佇んでいた。
その視線はとても静かで。
―――ひっそりと。
だからこそ、気が付いたのであろう。
大勢の視線には慣れているのだが
あの視線は何かが違った。
それでも、すぐ居なくなるのであれば気が付かなかった。
何日も何日も―――ただ見ている。
ファンの類では、無いな。
自称追っかけとやらが増えたが、そう云った者達の視線とは違う。
気まぐれ。
だから、女の前に降り立ったのは―――ただの気まぐれだ。
「何の用だ」
その女の前に降り立ち、そう聞いてやれば
その女は瞳を見開いて、オレを見つめる。
「…驚いたわ」
「何の用だ、と聞いている」
全く、驚いた素振りも無く。
驚いたとは口先だけかと思ったが。
大きく息を付くと
今までに無く、強い視線を向けてきた。
「貴方に、聞きたい事があるの」
「フン」
鼻先で、続きを言うように促す。―――女は、視線を逸らさず言葉を続けた。
「数年前、銀成市で集団失踪した21人」
「旧家の主人と息子二人―――そして、当日警備についていた人達」
「教えて。彼らはどこかで生きているの?」
ゆっくりと
しかし
一言も言い漏らさぬように、しっかりとその女は言い切った。
「何故、オレに聞く」
面白い。この凡庸極まりない女に興味が沸いた。
この件については、既に錬金戦団が処理を済ませていた。
蝶野家と暴力団の黒いつながり
そして、其れゆえ起った事件。
貿易に絡んだ密輸と、それに絡んだ組織同士の抗争。
行方不明者は『埋められた』だの『臓器として売り飛ばされた』だの
週刊誌を賑したのは精々一週のみで。
結局、貿易商と暴力団との不正取引と密輸事件に絡んだ失踪として扱われ
捜索は、早々に打ち切られた。
まぁ、警備をしていた暴力団も巻き込まれたが
それだって、彼等にしたら日常茶飯事で。
財産についても、自分の分は怪しまれぬ程度にしっかりこっそり持ち出し運用している。
後は、どうでも良い。
幸いな事に―――あの、家族を心配する者なぞ居るはずも無く。
寧ろ、懇意にしていた筈の取引先すら
当たり前だがこの件について、係わり合いになるのを避けた。
それは、賢い選択であろう。
なのに、だ。
この女は、今更、あの件の事を知りたがっている。
「それは」
「それは?」
「貴方は知っていると―――そう思ったから」
「―――では、何故そう思った」
そう、聞き返すと女は一瞬視線を迷わせた。
何を、知っているのか。何故知りたいのか。それに興味が沸いた。
オレがあの事件を知っている、と思っているのであるなら
オレを犯人と目星をつけての事であろう。
それなりに調べた位では、わからぬ事実を突き止めてきたのであろう。
なのに、この女は仲間も連れず一人でオレが降りてくる迄、ただ、待っていた。
そしてどう見ても、普通の女。
気配を探ってみても
立ち居振る舞いを見ても普通。
頭の中で、自分が把握しいる組織に属している者の顔と
目の前の女を照らし合わせてみるが該当者無し。
そんな普通の女が、あの事件を知っている。
「何故、そう思う」
そう、もう一度問えば、女は軽く目を瞑る。
そして、目を開くと、うっすらと微笑んだ。
「多分、貴方はあの家の人ではないかと。私は、そう思ったの。
知っているなら、教えて欲しいの。あの時に、警護にあったった人達の事」
警護に入った者達の縁者か。
暴力団関係者の女にしては地味だな。
「ふむ――では、人に物を尋ねるならばそれなりな礼儀が必要だと思うが?」
「礼儀―――お礼なら、できる限りは」
フン、と鼻先であしらう。
「お前の出来る限りの礼などいらぬ。お前が、何故それを知りたいのか―――其れを言え」
「それは…」
「それは?」
「私の結婚が決まったから。だから、もし、あの人が生きていたら」
何とも、お粗末な理由だった。つまらん。
様は、自分が幸せになるのにあたって
失踪した過去の男がヤクザだから、結婚後に生きて出てこられたら困ると―――そういう事か。
「フン―――成程、過去の男が関係者の中にいて、今となっては生きていたら困る。と」
嘲る様に言い放てば、女はきょとんとした顔になる。そして少し、首を傾げる。
「―――そうなのかしら」
女はぽつりと呟く。些か困惑した色を浮かべた瞳で、オレを見つめてきた。
「彼が、生きていたら。そうしたら、私は困るのかしら?」
「新しい男が出来たから、過去を清算したいのではないのか?」
フン、と鼻先で笑い言い捨てると。やはりまた、少し首を傾げ考え込む。
鈍い女だな。しかも、話し方が下手だ。
「あの人はあの日、組からの命令で蝶野家の護衛に行くって。
―――でも、それから帰ってこなくて。
もともとふらっと私の家に来て、好き勝手してどこかに行く人だったけど
テレビで流れたニュースで事件を知って警察に行ったけど、私は家族じゃなかったから。
ただ、事件性があるから、参考人として彼の当日までの足取りの確認をされて。
それを聞かれた後は、何の連絡も貰えなくて。
警察に聞いても『ヤクザ絡みの事件で失踪したら生きちゃ居ないだろう』って刑事さんが」
まぁ、生きちゃ居ないな。それは間違いない。
「私は、看護士で患者の彼と知り合って。いつの間にかずるずると入り浸られて。
恋人だって思ってたの、自分だけかもしれないけど。
―――よく、殴られたり蹴られたりしたし、お金の無い時は勝手に持ち出されたりしたけど
でも、居てくれて嬉しかったし、好きだったの。
居なくなって、気が付いたら何年も手懸りを探すくらい―――彼が、好きだったの」
「それで?」
「でもね、何年も探してたのに全然何も掴めなくて。
趣味みたいに、休みの度に担当だった刑事さんに連絡したり
事件が載ってる雑誌集めたり
蝶野さん一家の事を調べたりしたんだけど。
もう、何も出てこなくて。
刑事さんにも『いつまでも馬鹿なことやってるな』
『やくざな男と縁切れたんだ。自分の幸せ考えな』って。
もうね、疲れて―――疲れてしまったのね。
もう、しょうがないって思って。
そんな時、職場で勧められたお見合いで、断る理由がなくて結婚する事に決まって。
―――しょうがないって、思ってた筈なんだけど。何だかすっきりしなくて。
自分で結婚決めたんだから
これから共に人生を歩んでいく人にも失礼の無い様に、踏ん切りつけなくちゃって。
そう思ったの。
それでもう一度、関係者の事を調べ直したの。
そしたら、蝶野家で行方不明になったご子息は二人いるけれど
お一人は、学校の寮で災害にあって行方知れずのままで。
偶然この事件と同じ時期だったけれど
本当にこの事件と関係あるのかどうかは、はっきり解からないままだったの。
そしてね。
その頃、蝶の仮面をつけた怪人が学校に現れるようになったって。
銀成市のパピヨンが初めて現れた学校は、ご子息が行方不明になった学校だって。」
「それで、俺がその息子とどんな関係があるというのだ?」
「私の推測だけど―――貴方は、その成仏できなかったご子息の霊じゃないかと」
この女は、馬鹿だな。間違いだらけの推測と思い込み。挙句、足があるのに幽霊扱いか。
「もし、寮に入っていたご子息も事件に巻き込まれていたとしたら。
本当は、失踪じゃなくて、殺されたのかもしれない。
何か知らせたくて、彷徨っているのかもしれない。そう思って、貴方を見てたの。
ねぇ、殺された場所とか、捨てられた場所とかを誰かに伝えたい事とか
成仏するために供養して欲しいとか、そういうのだったら私、手伝えるから。
だから、もし現世の人に言いたいことがあったら言って。私が伝えるわ。
そしてもし、あの事件に巻きこれた人たちのことを知っているなら教えて欲しいの」
「残念ながら、お前にして欲しい事も伝えたい事も無いな」
女はじっと顔をみつめてくるが、取り乱しも慌てもしなかった。
「女。お前が言っている事は調べた事を基にしてはいるが、的外れな上に間違いだらけだ。
俺は只の蝶人だ。お前の言う幽霊ではないし、現世を彷徨っている訳でもない。
寧ろ毎日蝶・ビンビンに楽しんでいる。そんな俺がお前に伝える事など無い。
伝えたい事があったら、全てメディアを通すか本人に直接言っている」
「―――そうですか。何の関係も無いのですね。ご存知な事もないのですね」
「そうだ」
「…ありがとう」
女はそう言い、頭を下げた。
「誰にも話せなかった事を聞いて貰えて、すっきりしたわ。
もう、それだけで充分。
貴方の時間を割かせてしまって、ごめんなさい」
疲れた微笑を浮かべて、女はのろのろと立ち去ろうとする。
女―――お前の、つまらない者なりの努力は認めてやろう。
普通の人間が間違いだらけの推理と思い込みでも、俺の気を引く事ができたのだ。
それなりの報いを与えてやっても、良いだろう。
「―――待て」
鐘が鳴る。教会からのソレは祝福の物で。
空を飛んでいて、偶然目にした良くある光景。
花嫁と花婿にライス・シャワーが降り注ぐ。
偶然目に入った光景に
ふと思い出す、廃墟の屋上に立っていた女。
『あの事件の事、忘れるが良い。
オレは、人間が知らぬ事を知り、聞けぬ声が聞こえる。
だから、教えてやろう。
聞け―――お前の探している人間は、もうこの世には居ない』
そう教えてやったら。
体の力が抜けて座り込み泣き始めた。
普通に考えれば、当事者で無いと云う者の言葉など信じられるはずも無いが
どう見ても蝶人のオレの言葉だから、信憑性うんぬんのまえに理屈抜きで信じきった様だ。
まぁ、人間は、聞かされた話の中で
どんなに突拍子の無い話でも、普通に考えれば信じらない話でも
自分にとって都合の良い方の話を信じる、という傾向にある。
だから、あっさり信じたのかもしれない。
泣くだけ泣いて。
もう一度自分に礼を言って、去っていった。
泣いている間に、男の名前らしきものが聞こえたが覚えていない。
それでも、その男の為に泣いた女は
最後はすっきりした顔で、歩いていった。
「フン」
あの時、何故、教えてやったのかと問われれば
今後の余計な詮索を避けるためだと、そう答えるだけだ。
―――ただ、それだけの事のはず、だが。
あの女と話した時に想いだした、偽善者の言葉。
人間だった俺に
『今死んでも誰の記憶にも残らず、墓があっても手を合わせる人も居ない。
犠牲者に償うならば俺が―――』
と言った、あの偽善者の言葉。
俺が生きる為に無くなった命―――そして、ソレを探した女。
自分の中には謝罪の気持ちなど、見当たらない。
寧ろ事実を話してやっても良かった。
邪魔だったら処分しても良かったのだ。
しなかったのは、面倒臭かったからだ。
―――行方不明になっている蝶野一家には
当主が離婚した妻であり、行方不明になった子供達にとっては母親である女が―――生きている。
だが、蝶人となった自分にはその女がどうしているかなど―――関係の無い話しだ。
だから、廃墟の女と話した時に
本の僅かだが、胸の奥に感じた羨望と期待は
自分の中に吸収された者達の、残骸。
羽を休める花はあれど、独り。
その道を選んだ自分に後悔は無い。
あるのは、己の進む道のみ。
―――いつか残骸は、胸の中で朽ち果てていく。
END