大地が、怒っている。
だからごめんね―――三蔵は還れないんだ




どんなに望んでも、還れないんだ。







大地に抱かれぬ者







人は、死ねば土へと戻る。
魂は天に昇るというけれど
地上で生きた者は、全て母なる大地へとその身を還す。
大地は何も云わず
どんな悪人であれ善人であれ

ただ『おかえり』と

―――その腕へと迎え入れる。



それは、地上で生きている者には当たり前な事で。



三蔵も、それを疑う事は無かった。

いつか自分は死ぬのだと―――だが、いつかまた悟空と出会うために転生するのだと。
言葉には出さずとも


―――そう、誓っていた。







西へ行って、あれから何年―――






いや、何百年経ったのだろう?






「何をやっている?」
真剣な表情で指を折りながら、何かをノートに書き付けている悟空に声をかける。
いつもなら、自分が部屋に入った時点で顔を上げて飛びついてくるのに
今日はそれも無く、ひたすら指を折っている。
そして、ようやく何かをノートに書き込むと

「おかえり!」

嬉しそうに目を細めて、飛びついてきた。
それはいつもと変わらない光景。



夕食は、鍋。
土鍋に白菜と豚肉を交互に重ねて敷いていき
三蔵が好きな日本酒を適当に入れる。

後はとろ火で放置。

白菜からの水分が出て、アルコールも飛んで美味しい鍋の出来上がり。
大根おろしとポン酢で食べても美味しいけど
三蔵は酢橘だけで食べる。
毎年取り寄せてる瓶詰めの酢橘。
一番絞りの限定品は値段は張るけど、俺も三蔵も好きだ。

それが届くと鍋になる。



そういえば、昔、鍋の中にマヨネーズ入れられて喧嘩したっけ

アレは本当にひどかった。
三蔵の嗜好に文句をつけるつもりは無い。
けれど、自分の取分け皿だけでして欲しい。
鍋にぶち込まれては―――三蔵はともかく―――その後のおじやもうどんも楽しめないでは無いか。
そう云って、喧嘩になったのはいつの事だったか?






最近は、一緒に飲む事も多くなった。
食事の片付けやゴミ出だしを自分がやるのも珍しくない。
悟空は嫌がるが、別に片付けもゴミ出しも気が向いた時だけで、毎回している訳では無い。
いつだったかは、ゴミ捨て場に溜まっていた女どもに
根掘り葉掘りこいつの事を聞かれて、うんざりもしたが
この馬鹿が、へらへらあいつらに愛想振りまいてゴミ出しするくらいなら
自分がやった方がマシな気がした。


が、この馬鹿、最近はやたらと早く起きてゴミ捨てに走りやがる。


理由を聞いても言いやがらねぇ。
むかついて――――つい、色々しちまって理由を吐かせたの迄は良かったが


その後が大変だった。


アレからゴミ出しは任せている。
それでこいつが安心するなら、やらせときゃ良い。
どうせ、何処も5年以上はいないのだから。




 ―――また、あの時期が来る。





 
飯喰って、片付けして
三蔵に風呂に入れば?って声をかけようとしたら
窓の外、眺めてた。
月が綺麗で三蔵も綺麗で
でも、あんまり空を見て欲しくない。
『還りたいの?』って言いそうになる。
いつだったか、一度、言っちゃったんだ。


『ねぇ、かえりたいの?』


何も考えずに、唇から止める暇も無くするりと出た言葉だった。

―――そしたら

『俺はかぐや姫じゃねぇ』

って、真顔で返されてびっくりした。
その日の夕方、日本昔話やってたのを知ったのは後からだったけど。
姫って、自分で言う?
綺麗だから良いけどさ。普通、言わないから。
こっちも真顔で

『姫って―――三蔵、女だったの?』

って、うっかり返したら



――― その夜は、凄い事された。



女顔、まだ気にしてたんだねぇ。

『女だったら、モッテナイからな』

って、道具出してきた時にはマジで引いたよ。
うん。





あぁ―――また、あの時期が来るんだ。






「よぉ」

「「来た」」

「何だ?相変わらず老けた―――シケタ顔してんな?」
「ババァ、どうでも良いが相変わらずワザとらしいな」
「ねぇちゃん、久しぶり」
「ちび、変わりないか?」

ぽんぽんと俺の頭を撫でる菩薩のねぇちゃんも、やっぱり変わらない。

三蔵はどっかりとソファに座って煙草に火をつけている。

「変わりないよ。ねぇちゃん、次の場所決まったの?」
「―――あぁ」

ねぇちゃんは、いつも優しい。

「何だ、ちび。今日は鍋だったのか?」
「うん。まだ残ってるから明日のお昼に食べようかなって。良かったらねぇちゃん食べる?」
「ふむ。たまには良いな。鍋と日本酒」
いそいそと席に着くねぇちゃんに三蔵は呆れ顔だ。

「勝手にやってろ」

そう言って、風呂に向ってく三蔵にひらひらと手を振りながら
「おぼれねぇ程度に漬かって来やがれ」
ねぇちゃんは、明らかに面白がってる。



鍋を暖めなおして、ねぇちゃんの箸出して
ついでに日本酒も出してあげたら嬉しそうに飲み干す。

「く〜〜〜っっ、上手い」

ぷはぁ、と息をつくねぇちゃんは居酒屋のOLとあまり変わりは無い。
箸で白菜つついて、肉つついて酒飲んで。
適当に近況を話してたら、ねぇちゃんの表情が変わった。



「なぁ、お前は幸せか?」



その言葉に思わず微笑むと、ねぇちゃんも「そうか」と笑う。




―――ごめんなさい

我儘通して自分だけ幸せで
三蔵巻き込んでねぇちゃん巻き込んで

本当なら天界に戻れただろう彼を自分の傍に置くために、俺はとても卑怯になりました。

悪い事をしたと解かっていて、謝罪の言葉は出るのだけれど
後悔の一欠けらもない自分が、きっと狂っている事も解かってる。



それでも




「俺さ」
「なんだ?」
「多分、世界で一幸せだと思う」

ねぇちゃんは、其の言葉を聴くと綺麗に片眉上げてクイッとお猪口を煽り

「ごちそうさま、ってとこか?」

慈愛の神様は、其の名に恥じぬとても綺麗な微笑みを返してくれた。







風呂は好きだ。
もともと長風呂の上、この家はいつでも入れる24時間風呂だ。
住みやすい部屋だった。
この風呂も気に入っていた。
シャンプーもリンスもボディソープも悟空が揃えるが、自然を感じさせる香りの物が多い。
意識の有無は別としても、一緒に入ることも多い為
適度な広さと、いつでも使える気軽さが良かった。

―――次に行く所も、こんな風呂なら良いがな


もっとも、一緒にいけるかどうかは、あいつ次第だが。
俺の命を握っているのは、一応あいつだからな。





湯船に浸かりつらつらと考えていたが
結局、面倒臭くなって思考を停止させる。
気が付けば、煩悩が尽きる事ないのは変わらないのだが
寺院に居た頃よりも、無心になっている事の多い自分に思わず苦笑する。
垂れる水滴が邪魔で、前髪をかきあげる。


其の掌にふと目をやる。


悟空の手をとり
頬をなで
押さえつけ
何度もイかせ、縛り付けた男の手。

あの時、やってる事は兎も角、確かに自分は人であった。



―――では、今は?




そう訊かれたら―――










「三蔵、お風呂上りに一杯いく?」
そう聞くと熱燗を希望される。
ねぇちゃんが鍋を食べつくしてくれたから
土鍋も片付けれたし
明日も寒いなら今度はシチューとかにしようかな??
熱燗の用意して、運んでいけば
三蔵は窓の外を見てる
また、月を見ているの?
そう訊こうとしたら

「雪だ」

言われて窓の外を見上げれば
舞うように落ちてくる雪

「雪見酒と洒落込む?」

お猪口を持たせてお酒注いで
甘えるように見上げれば


『雪よりも、お前が良い』


耳元でそう囁かれて
抱き込まれて口移しで酒飲まされて
ほろ酔い気分で気持ちよくて
俺からも返杯したりして
流されて、このまま褥へと―――

「―――あ、三蔵」
「……何だ」

「徳利使ったら、グーで殴るからね?」

『チッ』

やっぱりヤル気だったんだね〜…
明らかに残念そうな舌打ちに笑ってしまうけど

『三蔵で、充分満足だよ』

そう、耳元で囁いて
そっと指先を走らせれば

「酒よりも性質悪ぃ」

苦笑と共に漏らされる睦言。


二人が一つになるこの時間が堪らなく好きだ。


明日になれば、俺たちがここで暮らしていた記憶は誰にも残らない。
結構仲良くなったご近所の奥さんたちも
3丁目のジョンも7丁目のたまも
ジョンの飼い主のじいちゃんも、たまの飼い主でよく饅頭くれたばぁちゃんも



みんなみんな、俺たちを忘れてしまう。



ねぇちゃんが全て移動して後始末もしてくれる。
人で無い俺たちが、怪しまれずに生きていくためにはしょうがない。


寂しい、さびしい、サビシイ―――


だけど、そんな寂しさを忘れてしまえる熱さ。
どんな出会いも別れも、三蔵以外なら全て受け入れる。
たった一つの我儘が許されるなら
どんな卑怯な手でも使うよ。
大地が続く限り、俺も生きていくなら三蔵と共に歩みたい。



五百年の孤独は、俺に狂気にも似た執着を植え付けた。



たった一つ



これだけは譲れなかった。






「他事考えてられんなら、まだまだ余裕だな」

そう言って自分の瞳を覗き込んで、視線だけで煽ってくる性質の悪い男。

「俺が他事を考えていられるのは、三蔵が手を抜いてるからじゃね?」

そう言い返せば、噛み付くようなキス。
ソレで良いんだよ。


考えられないように快楽に蕩かされて。
すごく凄く追い詰めて。
甘いあまい愛撫は過ぎれば苦しさを伴うけど
とても幸せなコトだから。
同じくらい貴方も蕩かして
それ以上に追い詰めて
苦しさと幸せと執着を植付けてあげるから。









たった一つ望みました。
それは、一人の人間で、自分は大地の子供で
本来ならば、大地に還り彼を抱きしめるべきだったのかもしれない。

だけど、それができませんでした。

大地に還った自分と大地に還った彼が抱き合ったって、それはもう、三蔵では無い。
その、魂を留めて置くには『三蔵』と言うイレモノが必要で。
その魂が転生によって変わる事も、許せない自分が居て。

自分と言う存在全てを掛けて、大地も天界も脅しました。

三蔵の魂が天界に行くのであれば、自分も天界に行くと大地に
三蔵を天界に連れて行くのなら、どんな手を使っても取り返しに行くと天界に

名前なんてどうでも良い。三蔵でも江流でもぽちでもたまでもジョンでも何でも良いんだ。

あの、身体で
あの、声で
あの、魂で


今まで二人で重ねてきた全ての記憶と経験を持った、あの人であれば―――



――――アノヒトデ ナケレバ イラナイ



大地は嘆きながらも、三蔵に還る事を許さない。
還る事を許してしまえば、俺が三蔵を留める為に天界に助けを乞うと
二人が存在する為に手段を選ばないと


大地が自分を愛し慈しんでいる事を、利用した。


天界は観世音菩薩を目付け役とし、自分達に仕事を与え秩序を保つ為に出る齟齬の操作を。
そして過ぎて行く日々は、幸せと不安が紙一重の日々。



大地も天界も、決して自分のした事を許してない。



それでも、だ。





歪んだ愛情の逝き付くところが何処であろうとも、最後まで
いやと言っても苦しがろうとも、逃がさない。







御伽噺の幸せな結末は、
『いつまでも、幸せに暮らしました』






自分達には期限の無い『いつまでも』











 ――――そして二人は、いつまでも幸せに暮らしました。






                                                END